光明皇后誕生地伝説


 

 奈良の都に東大寺を建て、全国に1か寺ずつ国分寺を建てるよう詔勅を出されたのは聖武天皇です。

 その方の奥さんは光明皇后といいますが、実はこの方和泉の国分寺で生まれたという話が伝わっています。

 それも「鹿の子」として・・・ かいつまんでお話ししましょう。

 

 昔、国分寺の奥の院である薬師堂(現浄福寺さん)で修行をしていた智海上人は、ある時崖の上で小便をしていました。

 崖の下には一匹のめす鹿がいてその小便をなめてしまいました。


 上人の小便をなめためす鹿は、やがて小さな女の子を産み落としました。

 上人は見るに忍びず、近所の老女に頼んで育ててもらうことにしました。

 

 女の子が5才になった頃のことです。野良仕事をする老女のそばで遊んでいると、天皇の使いで槇尾山にお参りする藤原不比等という大臣が近くを通りかかりました。

 

 大臣は、不思議な光に包まれている何かに気がつきました。よく見てみるとその光は野良で遊ぶ女の子から出ています。

 大臣は、老女に頼んでその女の子をもらい受け、奈良の都に連れて帰りました。

 

 藤原不比等の養女として育てられたその女の子は、やがて大きくなり聖武天皇に嫁いで光明皇后となった。    というお話です。


 この伝説は国分の地では古くから語り継がれてきましたが、江戸時代に書かれた「和泉名所図会」(1600年刊)という本にももう少し詳しく出ています。


 国分寺の近くには光明皇后が建てたという「千人風呂」のあと地があります。慈悲深い皇后が病気で苦しむ人のために建てたものと言われています。

 

 また、400年ほど前に描かれた和泉国の地図には現在地に国分寺の「伽藍跡」が書かれており、その西端に「光明皇后廟」が、また薬師堂のあたりに「光明出生地」という文字が書かれています。

 

 これらのことから、この伝説は、江戸時代の初めにはすでにあったものと思われます。